2023年9月 広島にて

アメリカのフィージョンバンドに『HIROSHIMA』というのがあります。ブログ作者は彼らの音楽が好きでよく聴いています。「Hawaiian Electric」という曲は気分が優れない時に聴くと気持ちが楽になります。フルートの音色がいいですね。バンドメンバーには日系三世もいて琴や太鼓といった和楽器を使った演奏が珍しく聴いていて大いに気に入ってしまいました。
彼らの名前が『HIROSHIMA』というからには日本の広島と何か関係があるのだと思いますが詳しいことは情報が少なくよくわかりません。そんな彼らの曲の中に「Thousand Cranes」というのがあります。千羽鶴ということのようですから広島平和記念公園などに飾られている千羽鶴を思い起します。彼らのアルバムジャケットにも折り鶴が描かれているものが幾つかあります。

2023年9月下旬に広島を旅行しました。この年の夏は記録ずくめの大変暑い夏でしたが9月になっても暑さは一向に収まりません。天気の良い広島は真夏のような暑さでした。

ブログ作者は60歳代の半ばの年齢になり、気が付いてみれば「じいさん」と呼ばれてもおかしくない年齢です。いったい何時の間にこんな年齢になってしまったのか?
30歳代以降の自分の時間はどうなっていたのか、何をしてきたのか漠然とした記憶しか残ってない状態でした。


自分の60何年かの過去に広島は一度だけ訪れていたと思います。「訪れていたと思います」とは何とも心弱い言葉ですが、訪れた記憶が曖昧で「広島へ行ったことあったよな」という程度しかありませんでした。
自分自身の旅行スタイルは行きたいところがあって、旅先の何々が見たいという願望がなければ旅行をしないタイプの人間でした。ですから旅行会社のパッケージツアーとか参加したこともありませんでした。

20歳代に山岳会の四国旅行に参加した際、広島経由だった為に広島市も訪れていたはずです。そのときに平和記念公園へも行ったと思うのですが、そこがどんなところだったのか記憶が殆ど無い状態でした。
もともと自分で計画した旅行ではない為に、その四国旅行そのものの記憶も自分の頭に残っているものは極わずかしかありませんでした。

日本人に生まれて来たからには、『広島・長崎』は心に置き留めておかなければならない、長い間そのように考えていました。しかし広島の記憶が殆どないということで自分の人生が終わる前にもう一度広島を訪れてみる必要があるのではと前々から考えていたのです。

自分の住む関東からは広島はけっこう遠いので簡単に行ける場所ではありませんでした。新幹線など高い料金が掛かる乗り物など、そうやすやすとは乗れない。今までの自分はそう思っていましたが、今おもい返してみれば何という情けないケチ臭い考え方だったことか(笑)
一度、新幹線に乗ってしまえば東京から3時間50分程で広島へ着きます。今迄そこへ何故こんな年齢になるまで自分旅として行くことが中々できなかったのか。

そんなわけで今回の広島旅行は初めての旅行のような新鮮味で訪れることができました。初日はJR広島駅から広電に乗り本通というところで降り、そこから平和記念公園まで歩きました。元安橋という橋の袂まで来ると原爆ドームが見えました。

その日は大変良い天気です。透き通るような青空。ただすごく暑い。平日だというのに観光客らしき人々が沢山いました。外国人もかなりいます。公園内を歩く人の4割ぐらいは外国人です。学童・学生の団体客を除けば半数以上は外国人ではないかと思われました。

広島平和記念資料館の入口には長い列ができていて入館まで30分待ちということです。私も列に並んで入館を待ちました。一人旅の私の前も後ろも外国の人達が並んでいました。
今年の5月にG7広島サミットが行われていましたから日本を訪れた外国人旅行者達にとっても広島へ訪れる関心は高いものがあるのかも知れません。西欧人、アジア人、アラブ人、黒人等、外国人旅行者も様々な地域の人達が来ているようです。


ブログ作者は埼玉県に在住する者ですから広島とは縁遠い身分です。原爆について語れる知識はあまりありませんが原爆と戦争について少しだけ感想を書かせて頂きたいと思います。

ブログ作者は原爆投下に関するテレビ番組を幾つか見ています。一つはNHKBSの『“悪魔の兵器”はこうして誕生した〜原爆 科学者たちの心の闇〜』というものでした。
3人の原爆開発に携わった人物が、それぞれの思惑から如何にして原爆が造られ使用されたのかを紹介している番組でした。
原爆の開発はドイツに先行される危機から始められたもので、極秘で進められ膨大な予算と多くの科学者達がこれに参加していました。しかしドイツが降伏したことで開発を断念する働きも一部あったようですがアメリカの大統領が急死して次期大統領のもとでは多額の予算を費やしたこの計画を断念することはできず、まだ参戦中の日本で使うことが決定されて行きました。
日本の降伏を促す為には直接原爆を投下すべきか、原爆の威力のデモンストレーションを行い降伏させるべきか検討されたようですが、結局は広島や長崎の一般民衆の頭上に投下されてしまいました。こうした直接使用は政治家や軍人の意見というよりも開発当事者の科学者達の考えによって強く導かれていたということです。
この番組も原爆開発に携わった人たちが使用後に間違ったことをしてしまったのではないかという反省が多く語られていますが、開発に携わった科学者達ならば原爆が如何に恐ろしい兵器なのかはわかっていたのだと思うのです。そして大量殺戮を回避する為の行いが語られていなかったのは残念に思いました。

もう一つの別の番組は『証言と映像でつづる原爆投下・全記録』というNHKスペシャルの番組でした。内容はマンハッタン計画の現場責任者トーマス・ファレル准将のファレルの手記や天皇の側近の官僚達のインタビューなどから原爆が投下された当時のアメリカと日本の対応の経緯を語った番組でした。

また数年前にはNHKのEテレで放送された映画で関川秀雄監督『ひろしま』を拝見しましたが悲惨な映像には衝撃を受けたものです。原爆投下から8年後に制作されたこの映画は、原爆が広島の一般民衆に対して使用されたことの批判や、再度戦争が始まり原子爆弾が再び使われるのではないかという不安が感じられる映画でした。
映画の始まりで生徒と先生による白血病と原爆症について話し合われるシーンあり、実際に原爆を体験した生徒がそうでない生徒や戦後広島へやって来た先生にこう語っていました。
「原爆を受けた僕たちはいつ原爆症で命を取られるのかビクビクして生きている。・・・原爆の恐ろしさと非人道的なことを世界の人達に叫ぶ前に日本の人達に、原爆を知らない広島の人達にわかってもらいたいのです。」と語るシーンは当時から原爆体験者とそうでない人物との心の隔たりがあったのだと感じられました。

今年(2023年)の夏にアメリカで公開された映画があります。クリストファー・ノーラン監督作の『オッペンハイマー』。原子爆弾を開発し「原爆の父」と呼ばれるロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた伝記映画ということです。
アメリカなどではかなり話題になっているようですが日本での公開は未定のようです。今のところ日本では殆ど話題にもならず、ブログ作者も映画の内容はわかりませんが日本での公開が難しいものがあるのではないかと思われるのです。


上の写真は宇品島から見た似島です。島の山は安芸小富士といいます。今ではレジャースポットの島ですが悲しい歴史が残るところでもあります。島には第二次世界大戦終了直後まで検疫所が置かれていて、また捕虜収容所もあったようです。原爆投下後には検疫所が臨時の野戦病院として使用され被爆して傷ついた人々が沢山運ばれて来たということですが運ばれて来た多くの方々がここで亡くなっていたそうです。映画『ひろしま』にもそのことが描かれていました。島には戦後に原爆・戦災孤児施設の似島学園が置かれていました。

下の写真は平和記念公園内の「原爆の子の像」です。像の下の石碑には次のように刻まれています。
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」


ロシアとウクライナの戦争が始まって以来、世界は緊張感を伴ってその行方を見守っているのだと思います。ここ広島を訪れている外国人の中にはロシアやウクライナの人もいたかも知れません。外国人旅行者の人達はここ広島平和記念公園をどのような想いで訪れていたのでしょうか。

人類の長い歴史は戦争の繰り返しでした。日本の歴史を眺めても古代から近現代まで戦争は繰り返されてきています。古い時代の戦争の話は権力者側から見た話しばかりが伝えられてきています。戦国時代までの戦について一般民衆が戦とどのように係わっていたのか、そのような資料をブログ作者は勉強不足で殆ど知りません。
日露戦争あたりでは一般民衆の中にも戦争を後押しする行動を取る人々もいたようです。第二次世界大戦後は戦争が如何に悲惨なものか一般の人々にも理解されるようになったのではないでしょうか。

ブログ作者が広島から帰宅して間もなく、中東でハマスとイスラエルの戦争が始まりました。パレスチナとイスラエルの問題は近年落ち着いていたのだろうとブログ作者は思っていたので大変驚いていると同時にこの地域の情勢をそのように見ていた自分が恥ずかしく思われます。以後ここまで日本でもそのニュースが毎日のように報道されています。ハマスに人質として捉えられている人々。ガザで一般民衆が空爆で悲惨な状況になっている情報などを見ると心が痛むものがあります。世界にはその他にも紛争や暴力による支配が現在でも存在しています。
何故争わなければいけないのかと言う悔しさ。多くの人々はそんなことをする為に生まれて来たのではないはずです。他人の自由と命を奪い合う権利って何なのでしょうか。人類から何故争いが無くならないのか。異文化が存在することを認め合い、憎みあわない。過去の過ちを許す心を勇気を持って伝えたい。

ここ広島平和記念公園内及び周辺を散策されている人々は日本人であれ外国人であれ、皆くつろぎ平和を堪能しているように見られます。その平和な時間を過去の辛い歴史を忘れることなく、この先の未来も平和が続くよう、戦禍を繰り返さないよう心に留めておきたいものです。

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