図像板碑を訪ねる

板碑に図像が描かれているものがあります。板碑は仏教の卒塔婆でありますからそこに描かれている図像は仏である訳です。板碑の種子で最も多いのがキリーク(阿弥陀)ですが、図像として多いのはやはり阿弥陀像です。

ここでは埼玉県内の図像板碑の傑作を幾つかご紹介します。


おねんぼう様(文永弥陀浮彫大板碑)
比企郡吉見町丸貫 町指定文化財 高さ230cm、上幅56cm、下幅60cm、厚さ7cm

頭部 欠損
種子-キリーク 上部は欠損
中央 阿弥陀如来像
文永十二年(1275)
紀年銘の両側に願文を陰刻する。阿仏と妻子が死後の冥福を祈って建てた逆修作善塔

大きな板碑ですが上部が欠損しているので元は3メートル近くあったものと思われます。現在は屋根付き簡易覆屋内に立てられています。上部種子は薬研彫りで連座はありません。種子の右上半分を欠いています。

浮彫された阿弥陀如来像は連座に乗り、頭光は大きく放射光が広がっています。右手を上げて左手を下げた来迎印をとっています。板碑の阿弥陀図像としては大きなもので、荘厳であり立派です。

右所造立者為阿佛并妻女
現世平生期待万善修行芳
文永拾二年乙亥中春…
千年松竹本臨終閉眼夕拝
三尊来迎月紫雲十念時也


光福寺来迎阿弥陀三尊図像板碑(光福寺の板石塔婆)
東松山市岡 県指定文化財 高さ152cm、上幅36cm

頭部 山形 二条線
中央 阿弥陀如来像 飛雲 右 観音菩薩像 飛雲 左 勢至菩薩像 飛雲
嘉元四年(1306)
紀年銘の両側には花をさした花瓶が線刻されている。

国指定重要文化財の宝篋印塔がある東松山市光福寺に、来迎阿弥陀三尊の図像板碑があります。板碑は宝篋印塔と並んで覆堂に納められています。5月の連休に訪れてみると、普段はガラス扉の外からしか拝見できない覆堂の扉が開けられていました。

この板碑には種子がありません。板碑の表面全体に刻まれた阿弥陀三尊像が描かれています。阿弥陀像の頭光は、円状に打ち上げ花火のように大きく広く放射しています。

阿弥陀三尊像は右斜め下を向いています。一般に知られる絹本著色阿弥陀三尊来迎図とよく似た斜め構図です。背後にたなびく雲の様子は西方極楽浄土から降りてきた阿弥陀三尊の動きを表現しているようです。阿弥陀像から二条の長い線光が右下へ放たれているのは、その先に往生者が居られるのでしょうか。観音菩薩像の差し出す蓮台は往生者を救い取るためのものとされています。



南河原石塔婆 以下当地パンフレット

観福寺境内に所在する二基の大型板碑は、江戸時代後期に松平定信が編纂した『集古十種』や江戸幕府が編纂した『新編武蔵風土記稿』などにも紹介され、古くから人々に知られていた。これらの板碑については、当地出身の武蔵武士で、源平争乱の際に摂津国生田の森(兵庫県神戸市中央区)の合戦で討死した河原太郎高直・同次郎忠家(『平家物語』では盛直)兄弟の供養塔であるとの伝承があるが、真意は不詳である。


観福寺阿弥陀三尊板碑(南河原石塔婆)
行田市南河原 国指定史跡 高さ236cm、幅65cm、厚さ9cm

頭部 山形 二条線
種子-キリーク 連座
中央 阿弥陀如来像 連座 右 観音菩薩像 連座 左 勢至菩薩像 連座
文応二年(1261)
紀年銘の左右に、板碑の造立功徳にかかわった十二名ほどの人名が刻まれていが剥離部分が多いため、数名の人名が判読できるにすぎない。

大きく深く薬研彫りされた種子(キリーク)が連座に乗っています。右部は欠損しています。

放射光の頭光背に来迎印を結ぶ阿弥陀如来像が正面を向き連座に乗っています。右下に左を向いた観音菩薩像が蓮台を持ち、左下に右を向いた勢至菩薩像が合掌しています。

観福寺地蔵図像板碑(南河原石塔婆)
行田市南河原 国指定史跡 高さ187cm、幅85cm、厚さ6.5cm

頭部 山形 二条線
天蓋 地蔵菩薩像 岩座 右 脇侍像 左 脇侍像
文永二年(1265)
紀年銘の左右に「願阿弥陀仏」「浄阿弥陀仏」などの阿弥陀仏号を持つものや、「藤原」「佐伯」などの姓を持つ二十数名の人名が刻まれているが、判読不明の部分も多い

上部に天蓋を配し、頭光背、右手に錫杖、左手に宝珠を持った地蔵菩薩像が連座に座りその下に岩座、下部の左右に脇侍が線刻されています。

 


来迎とは、臨終のときに極楽浄土より阿弥陀如来が、多くの菩薩をともなって雲に乗り、臨終者のところに現れ、極楽浄土へと導くことを現したものです。その様子を描いたものは来迎図といいます。

『観無量寿経』に説かれた来迎図は、平安時代以降、浄土教信仰の興隆にともなって数多く制作され、その遺品も少なくありません。

阿弥陀来迎図として知られる作品は、高野山「阿弥陀聖衆来迎図」、知恩院「阿弥陀二十五菩薩来迎図」、禅林寺「山越阿弥陀図」などがあります。

関東地方に多く見られる板碑は、種子にキリークを刻むものが多くあり、浄土信仰との関わりが考えられます。鎌倉時代から室町時代にかけて制作された板碑は、その制作者である武士階級の死生観や信仰を知る手がかりとなるものです。当時の武士達は日頃どのようなことを考え生活していたのか垣間見ることが出来るのではないでしょうか。

阿弥陀来迎図を石に刻んだものは関東以外にどのようなものがあるのか調べてみますと、福島県中通り地方にその作例が多いことが判りました。代表的なものは福島市下鳥渡の陽泉寺来迎供養石塔があります。

板碑に直接に図像を表したものは多くはありませんが、ここで紹介して頂いたものは4基中の3基が阿弥陀如来及び三尊像と1基が地蔵菩薩像でした。

中世武士の精神論は「勇ましく」のように考えられがちですが、本当はどうだったのだろうかと図像板碑を見ていて考えさせられるものがありました。

現在に生きていて、少しだけ中世の人々の心に触れられた、そんなひとときを過ごすことができました。

 

タイトルとURLをコピーしました