ー4.考古学的調査で明らかになった「長者山遺跡」ー
| 遺構の種類 | 内 容 |
|---|---|
| 道路跡(古代官道) | 幅約6m(一般的官道の幅) 両側に側溝 建物群付近は最大18mまで拡張されています |
| 20棟の建物群からなる 施設跡 |
掘立柱建物跡群:8世紀~9世紀前半 礎石建物跡群:9世紀後半~10世紀 ※各建物の時期については不明な点も多くあります |
| 建物跡を取り囲む大型溝跡 | 幅約3m 深さ約2m 断面形は逆台形 |
古代道路跡
北の山林内に残る切通し状微地形(藻島駅路跡)とは別に神社境内西側にも道路跡が見つかっています。神社社殿の北西植林中に神社「裏参道」と呼ぶ小道があり、調査で裏参道西側中央付近で幅約12mの道路跡、境内林を抜けた南端では幅6.9mの道路跡が確認されました。いずれも東側のみに側溝が確認され西側は路盤と考えられる硬化面の範囲を測ったものとあります。
建物群からなる施設あと
掘立柱建物跡の柱穴や礎石建物跡の礎石や掘込地業は、古代の建物の構造や規模を明らかにする手掛かりとなる遺構です。また、位置関係や建物の向きを分析することで、建物群からなる施設の性格や機能を推定することが可能です。建物の時期は、建物跡から出土する遺物などによって推定することができ、大きく掘立柱建物跡は8世紀~9世紀前半、礎石建物跡は9世紀後半~10世紀のものと考えられます。 『続日本紀』『日本後紀』には「藻島駅家」は、養老3年(719)年に石城国に設置された海道10駅に連結するために設置され、陸奥国の海道10駅の廃止に伴い、弘仁3(812)年に廃止されたことが記されており、「長者山遺跡」の掘立柱建物跡の時期とおおよそ一致しています。
礎石建物跡
基壇や地面の上に据え置いた礎石の上に柱を立てる建物のことです。長者山遺跡では8棟の礎石建物跡が確認されました。礎石の大きさは1m前後で、柱を据えるための柱座などを設けたものや、周辺に礎石を安定させるための根石が確認されたものもありす。また、赤みを帯び被熱痕のある礎石もあり、建物が火災にあった可能性も考えられます。 礎石建物の下は建物や収納物(穀物など)の重さに耐えられるように「掘込地業」が施されています。「掘込地業」とは、建物の基礎となる地面をいったん掘り下げ、その内部をつき固めながら埋め戻す地盤改良工事のことです。
掘立柱建物跡
地面を堀って穴に柱を立てる建物のことです。長者山遺跡では12棟の掘立柱建物跡が確認されました。柱穴は柱よりも大きく掘られ一辺1m以上のものもあります。柱の木材は残っていませんが、柱穴内の土の堆積状況を観察しますと、太さ30㎝ほどの木材を使用していたと推定されます。
溝跡
溝跡はいくつか発掘調査で確認されていますが、特に注目すべきは建物群を囲む大型溝跡です。道路跡と並行するように道路跡東側に確認されました。道路に伴う施設の区画溝と考えらます。区画溝の北辺は想定ライン上で確認され、上幅5.22~5.31m、深さ1.74m~1.89mの逆台形状の底面が更に台形状に窪む断面形状であったといいます。南辺は愛宕神社拝殿の西約50m付近がコーナー状に東に折れているのが確認され、南辺調査区36・37で確認された第25号建物跡の柱穴の西までが確認されています。この溝跡は8世紀後半~10世紀まで機能していたと考えられ、土塁や掘り直しの跡も確認されているようです。
長者山遺跡発掘現場の写真
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