この記事は、文化財建築を楽しむ方法論のヒントを書いています。
岐阜の永保寺に続いて近江(滋賀県)の金剛輪寺と西明寺へも足を向けてみました。金剛輪寺(こんごうりんじ)はモミジの紅葉で知られるお寺ですが、ここもまだモミジの色づきは早かったようです。
金剛輪寺の山号は松峯山(しょうほうざん) 所在地は滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺
鈴鹿山脈の西山腹に位置し、金剛輪寺は西明寺、百済寺とともに湖東三山と呼ばれています。
寺伝によれば聖武天皇の勅願で行基の開創とされ、創建は天平年代と伝えています。その後平安時代に天台宗の円仁(慈覚大師)によって再興され、円仁を中興の祖としています。
ブログ作者がこの金剛輪寺へ前回訪れたのはいつ頃かよく覚えていない状態です。おそらく20年以上は経っているものと思われます。
拝観受付所から石畳の参道を登りますと参道脇には石地蔵が並んでいます。国宝の本堂まではキツイ登りが続きます。二天門が見えてくると最後の石段の急登になります。年なのでいっきには登れません。
金剛輪寺のことを紹介するWEBページやブログ、果てはまたSNSの投稿など沢山ありますが、どれを見てもこの国宝の本堂を解説したり本堂の写真を沢山載せたりするサイトは何故か少ないようです。多いのは境内の紅葉の写真とか。確かに紅葉の名所としても知られていますからね。
国宝の本堂は正面及び側面の長さが約21mあり寺院のお堂としては大きなものです。更に山中の傾斜地に建てられていることで堂の周りに平坦な土地がないことから本堂全体を撮影することが難しいようです。金剛輪寺本堂の全体を撮影した写真といえば上の写真の構図が精一杯というところで、他のサイトの写真を見ても上の写真と同じアングルが殆どです。
滋賀県は建造物の文化財が奈良、京都と次いで多いところです。かっての都に近いということもあると思います。
織田信長の比叡山焼き討ちはよく知られています。ここ金剛輪寺も天正元年(1573年)に織田信長の兵火を受けています。参道に沿って多くの僧坊が建ち並んでいた痕跡(平場)が見られます。しかし何故か本堂は焼失をまぬがれたということです。
国宝本堂の基本情報
正面桁行七間、側面梁間七間、組物出組、中備間斗束、二軒繁垂木、単層入母屋造、妻叉首組、檜皮葺
金剛輪寺の本堂は寺蔵の『金剛輪寺本堂並本坊什宝記』によると「佐々貴正五位上近近江守頼綱 本願再興 尤蒙古対治之蒙冥益依御誓約也」とあり、元寇の戦勝記念として近江守護佐々木頼綱(六角頼綱)によって建立されたと伝えています。内陣仏壇の金具に弘安11年(1288)の銘があることから、これが建立時期と考えられてきていました。
しかし屋根葺替え修理の際の調査では弘安11年までは遡らないとされ、内部の組物の拳鼻(こぶしばな 拳の形に似た木鼻の一種)などに禅宗様の要素がみられ、拳鼻の彫刻の様式から南北朝時代の建立と判定されています。弘安11年の金具は大改造か再建があったときに前身堂のものを利用したと考えるのが妥当とされたのでしょう。
日本の寺院建築の分類及び建築様式の種類
金剛輪寺本堂は中世密教建築の代表作で、様式的にみると中世和様建築です。
密教建築とは一般の人には馴染みのない言い方でここでは簡単に説明させて頂くと、平安時代の初めに天台宗・真言宗の宗派が起こりこの二宗は密教とも呼ばれこの宗派の寺院の建物を密教建築と呼んでいます。日本の長い歴史の中では仏教も変遷が度々起こり、お寺の建物も各時代又は宗派によって違いが見られるので、そういった違いを分類した建築分類の一つが密教建築です。では他にどのような建築分類があるか挙げるてみると、古代の建築では南都六宗建築、平安時代に流行する浄土建築、鎌倉時代に大陸から伝わった禅宗の禅宗建築などがあります。
そういった分類とは別に建築様式(建物の構造的な違い)という分類もあって、古来からの和様、鎌倉時代に伝来した大仏様(天竺様)、同じく鎌倉時代に伝来した禅宗様(唐様)、和様・大仏様・禅宗様のそれどれが入混ざる折衷様などがあります。
日本の古建築を鑑賞するにあたりこれらの分類や様式は知っているのと知らないのでは鑑賞する楽しみが大きく変わってしまうことでしょう。
古代寺院の建築は平地に建てられていて伽藍配置は南北軸を基準として門・塔・金堂・講堂などが建ち並ぶ形でしたが、密教寺院は山の麓や山中に建てられることが多く伽藍配置に規制は無く地形に従い自由に建てられています。清水寺本堂のような山の急斜面に懸造り(かけづくり)でお堂が建てられることもあります。
お堂に関して見ると、古代寺院では仏像を祀る空間(母屋・内陣)が基本であったの対して、密教寺院では礼拝を行う空間(庇・外陣)が追加され、梁間の少ない古代の金堂から梁間の多い奥行がある本堂へと変化しています。
金剛輪寺本堂の外観を観て行きますと正面(桁行)七間は全て蔀戸(しとみど)となっています。柱間を固定するのに長押(なげし)という部材が使われています。頭貫(かしらぬき)には木鼻はありません。軒下の組物は出組(でくみ)を使用して軒支輪(のきしりん)が見られます。中備(なかぞなえ)は間斗束(けんとづか)です。垂木は二軒(ふたのき)繁垂木(しげたるき)です。外観を観る限りでは禅宗様の要素は見られずほぼ和様の建物といってもいいでしょう。
何を隠そう、ブログ作者はこの金剛輪寺本堂が大変お気に入りの建築です。学生の頃に東京国立博物館の展示室で金剛輪寺本堂の模型を見たことがこの建物を知る切っ掛けでした。法隆寺の世界最古の木造建築や平等院鳳凰堂のような歴史の教科書にも写真が載る建物ではありませんが、金剛輪寺本堂の姿は普通にお寺のお堂として親近感が感じられ、そこから古の寺院建築に魅入られていったのでした。
このお堂に魅かれるところは、蔀戸の美しさ(蔀戸は古代からある日本独特の建材で古い絵巻物などにも見られます)、派手でなく堅苦しくない組物、板戸と白壁のスッキリした側面、反りの美しい檜皮葺の屋根などが気に入っています。
大陸から伝わった建築技術は派手であったり豪快であったりしますが、この中世の金剛輪寺本堂は日本の風土や文化にマッチした優しさと侘び寂にも通じるものがあるようにブログ作者は感じています。
遠い昔、そういう記憶は無いのですが、子供の頃にこの様なお堂で遊んだりくつろいだりしたような懐かしさが伝わるお堂です。
側面(梁間)の手前三間は礼堂(外陣)でその奥の二軒は内陣としていて最後部二間は後陣としています。
側面の手前三間の礼堂部が板戸(いたど)で後方四間が漆喰壁(しっくいかべ)になっています。
縁側は正面全面と側面は礼堂部までです。縁側の下には漆喰の盛り部がありこれを亀腹(かめばら)というそうです。お堂が傾斜地に建つためか亀腹も礼堂部までになっています。
本堂の内部は礼堂部の外陣と、須弥壇・逗子が置かれる内陣と、そして後方二間の後陣になっています。外陣の柱は他より太くなっています。外陣と内陣の境には吹寄菱格子欄間(ふきよせひしこうしらんま)で外陣と内陣の空間は厳かな緊張感が伝わってきます。逗子も立派な作りで秘仏の本尊聖観音立像が安置されているということです。
※堂内部は撮影禁止になっています。
ブログ作者は古建築を鑑賞するときは必ず建物を一周りします。しかしこの金剛輪寺本堂は一周りできませんでした。背面が狭く周り込んではいけないような雰囲気でしたので。
背面の中央三間に張出し部があります。この部分は閼伽棚(あかだな 仏前に供養する水や花の置き場)とWikipediaで解説しています。この部分が古くから設けられていたのかは資料が見つからず分かりません。堂のこの部分の建材は比較的新しいもののように感じられます。
金剛輪寺の魅力は何といっても、この国宝の本堂です。本堂内の管理人のお姉さんも言っていましたが国宝を味わってください。堂内外陣の太い柱に触れて何か語り掛けてみてください。何ものかpowerが自身の身体に伝わって来るかも知れません。
金剛輪寺の三重塔にも少し触れて起きます。本堂の左手の少し小高いところに金剛輪寺三重塔があります。三重塔は重要文化財に指定されています。今は普通に三重塔の姿ですが、以前は待龍塔(たいりゅうとう)と呼ばれ三重塔の姿をしていませんでした。南北朝時代の建築と考えられていますが近世以降に荒廃し崩れて三層目が無くなり柱や組物だけが残る姿でした。解体修理工事が実施され昭和53年(1978)に現在の姿に再現されました。上の写真の組物などの部分が他の建材より白っぽくそれが古い建材だと思います。他は再現された新しい部材のようです。
ChatGPTは日本の歴史や文化財について質問すると時々おかしな回答が書かれてきます。(2025年1月時点)日本の歴史や文化財についてはまだ学習が必要な段階なのだと思います。
さてここで待龍とはどんな意味があるのか。ChatGPTで聞いてみました。すると以下の回答でした。
「待龍」とは、一般的には「待つ龍」という意味ですが、特定の文脈や文化によって異なる解釈があるかもしれません。例えば、待龍は中国の伝説や神話に関連する場合があり、特定の神聖な存在や象徴を指すことがあります。
日本の古建築は構造の素晴らしさに感心しますが、ブログ作者はその美しさにも魅了されています。古の建築家は優れた技術と美感を持っていたのではないかと想像しています。これを建てた人はどんな人だったのだろう。どんな想いで建てたのだろう。
パワースポットとして神社仏閣を巡ることが密かなブームでもあるようです。ご御朱印をいただくのも良いのですが、参拝した社寺に文化財の建築があるのであれば一歩踏み込んで眺めてみるのはいかがでしょうか。
貴方も、あまり関心が無かった古建築を、一歩立ち止まって観てみると新たな発見が得られるかも知れません。