日立市十王町長者山遺跡の説明会

ー2.常陸国の古代官道ー

常陸国は『延喜式』によれば、新治・真壁・筑波・河内・信太・茨城・行方・鹿島・那珂・久慈・多珂の11郡が存在しました。常陸国には16か所の駅家が存在した記録が文献資料に残っています。駅家の所在地や名前は古代の文献資料によって知ることができます。『延喜式』には10世紀初めごろの状況が記されており、それ以前は『常陸国風土記』や『日本後紀』などによって状況を知ることができます。『延喜式』と『常陸国風土紀』に登場する駅家を比較すると、平安時代初期に駅家の再編が行われたことがわかります。また、駅家の廃止の記録は『日本後紀』などにも見られ、官道が時代にあわせて変化したと考えられます。

 

ー3.文字資料にみる「藻島駅家」ー

ー(1)『常陸国風土記』と「藻島駅家」ー

和銅6年(713)に「風土記」編纂の勅命が下され、各地の地名由来や特産物、自然、伝承などがまとめられました。風土記がほぼ完全な形で残っているのは常陸・播磨・出雲・豊後・肥前の5か国のみであり、多くの国は「逸文」として部分的に抜粋され、ほかの書籍に転載されたものが残っているにすぎません。『常陸国風土記』多珂郡の条には、藻島駅家の位置を示す記事があります。郡衙からの方向・距離と特徴的な浜について記され、長者山遺跡が「藻島駅家」の候補地とされる理由のひとつとなっています。 「郡」とは郡衙のことと考えられ、高萩市下手網の大高台遺跡がその候補地とされています。「東南の浜」は現在の碁石浦(十王町伊師)から小貝浜(川尻町)周辺と考えられています。
『常陸国風土記』多珂郡
「郡南卅里、藻島駅家、東南濱碁、色如珠玉」
(郡の南三十里に藻島駅家あり、東南の浜に碁石あり、色は珠玉のごとし)

十王町伊師の愛宕神社隠田本殿

ー (2)六国史と「藻島駅路跡」ー

「藻島駅路跡」の設置・廃止に関する記事が六国史にあります。この記事により「藻島駅路跡」が養老3年(719)に石城国に設置された海道10駅に連結するために設置され、陸奥国の海道10駅の廃止に伴い、弘仁3年(812)に廃止されたことがわかります。
『続日本記』
<養老閏七月丁丑【廿一】>
「石城国始置駅家一十処」(石城国にはじめて駅家十処を置く)
『日本後紀』
<巻廿一弘仁二年四月乙酉【廿二】>
「撥陸奥國海道十驛。更於通常陸道。置長有。高野二驛。爲告機急也。」
(陸奥国の海道十駅を廃し、更に常陸国に通ずる道に長有・高野の二駅を置く。機急を告げんが為なり)
<巻廿一弘仁三年十月癸癸渓【廿八】>
「廢常陸國安侯。河内。石橋。助川。藻島。棚嶋六驛。更建小田。雄薩。田後等驛。」
(常陸国の安侯・河内・石橋・助川・藻島・棚島の六駅を廃し、更に小田・雄薩・田後等の三駅を建つ)

ー (3)正倉院関連調庸布墨書「猿島駅家」ー