平成25年8月3日に茨城県日立市十王町伊師の長者山遺跡で現地説明会が行われました。長者山遺跡は『常陸国風土記』に記されている「藻島駅家(めしまのうまや)」の有力な候補地として東日本における道路関連遺跡では現在最も注目されている遺跡です。何故ならば古代道路に設けられた駅家跡としては西日本では数か所確認されているものの、東日本ではまだ駅家跡と確認され遺跡はありません。長者山遺跡が駅家跡と確認されれば初となるのです。
まず始めに長者山遺跡の北側の山林内に残る道路痕跡をご案内したいと思います。この道路痕跡の発掘調査で古代道路跡の可能性が指摘され、続いて長者山遺跡と藻島駅家跡を結びつける調査が本格化しました。
藻島駅路跡
長者山遺跡の古代官衙跡の発掘に先だって、その北側100mほどのところの山林内に現存する切通し状微地形(掘割状遺構)の調査が、平成17年に行われています。
愛宕神社の北側現在の十王坂舗装道路から西へ分岐する道の角に二十三夜塔が建つ塚があります。そこから50mほど十王坂を北に進むと今度は右斜めに分岐する道があり、その道の西側に沿うように掘割状遺構が確認できます。この掘割状遺構は山林内を北へ185m続いていて山林を抜けたところの谷戸で終わっています。
道路痕跡と思われる窪地は途中南端から150m付近で二本に分かれていて、その東側には後世のものと考えられる深く狭い掘割道も見られます。掘割状遺構が二本に分かれる手前は上幅約10m、下幅約7メートル、深さ約1.2m程度の切通し状遺構であると測量調査で確認されています。二本に分かれた北側はしだいに狭く深い掘割道跡となり、その付近は古代道路跡ではなく後世に利用された道跡ではないかと思われます。
発掘調査では4本のトレンチが設置され、一番南の第一トレンチでは現状の切通し状地形の底面角にほぼ対応する位置で両側に側溝が確認されています。推定される両溝の内側幅は6.25m前後で、側溝底面中央部の幅は6.65mと確認されています。両側溝の上端は標高約19.5mで水平に路盤が造成されていたことがうかがえるそうです。また側溝内から確認された硬化層から側溝の機能を失った後も道路として使用されていたことが確認されています。これらの調査結果から幅約6mの古代道路である可能性が明確になったもようです。なお、この想定古代道路の北の高萩市との市堺付近台地上には藻島台古墳群などの古墳群があり、古代道路通過で墳丘を削平されたとみられる古墳があるそうです。