更に禅宗様の特徴をみて行きましょう。出入り口や窓に使われているアーチ型を花頭(かとう)といいます。障子が貼られたアーチ型の窓を花頭窓といいます。この形の窓は禅宗様が伝わるまでは使われていませんでした。それ以前の寺院建築の窓は四角に連子窓(れんじまど)が一般的でした。
扉は正面五間の中央が桟唐戸(さんからど)といい、これも禅宗様の特徴です。和様の扉は板戸など板をはぎ合わせた表面の平らなものですが、桟唐戸は枠を組み、薄い板を入れた形になっています。また扉や窓の上に欄間(らんま)をとることがありますが、正福寺地蔵堂も欄間があります。欄間の連子は波型のものを使用していて、波型欄間とか弓欄間と呼ばれています。
11月3日の文化の日から一週間、東京都教育庁による「東京文化財ウィーク2001」と題して、都内に所在する文化財を多くの方々に身近にふれてもらう事業が行われ、11月3日に正福寺地蔵堂の内部も特別公開されました。正福寺地蔵堂の内部は私も一度拝見したいと思っていましたが、なかなか機会が無く、今回はたまたまインターネットのホームページで公開情報を知り、チャンスとばかりに出掛けてきました。
当日は晴れの得意日でも知られる文化の日にも拘わらず、朝からドンヨリ曇っていて、午後からは雨という予報でありました。雨の降らぬ内にと朝早めに向かいました。正福寺に着いてみると、普段はあまり人の居ない境内ですが多くの人で賑わっていました。
予想に反して人の多いのにちょっと戸惑いを感じながらもお堂の中へ入らせて頂きました。内部も人が多くて入れるスペースが僅かしか見あたりません。何とか入ったところで、ご住職直々のご説明が始まりました。
ご説明はお寺の創建の由来などから始まり、国宝地蔵堂の説明、そしてご本尊の地蔵菩薩像と進みます。中央の地蔵菩薩様は創建当時のものではなく江戸時代の作であるそうです。
ご本尊の地蔵菩薩立像は内陣の須弥壇に安置され、右手に錫杖を、左手に宝珠を持たれたお姿で、高さ127センチメートル、台座部分の高さ88センチメートル、後背の高さ175センチメートル、錫杖の長さ137センチメートルで、延命地蔵菩薩として伝えられています。寺の縁起では古代のものとも、また一説には中世のものとも伝えられてきているようですが、昭和48年の修理の祭に発見された墨書銘によって、文化8年(1811)に江戸神田須田町屋市兵衛の弟子善兵衛の作であることがわかったそうです。このお地蔵様は東村山市指定有形文化財になっています。
正福寺地蔵堂は千体地蔵堂とも呼ばれています。キャプション「正福寺地蔵堂本尊地蔵菩薩像」の写真のご本尊の左右には小さない一木造り、丸彫りの地蔵立像が沢山並んでいるのがおわかり頂けると思います。小地蔵は高さ10~30センチメートル位で、祈願する人は、この像を一体借りて家に持ち帰り、願いが成就すれば、もう一体添えて奉納するそうです。小地蔵には背面に祈願や銘や年号の文字のあるものがあり、その年号は正徳4年(1714)から享保14年(1729)のものが多く、奉納者は東村山を中心に所沢、国分寺、小金井、武蔵境にまで及んでいるということです。
江戸時代の地蔵信仰が盛んなころより続けられていて、現在も小地蔵を借りて行かれる方が絶えないといい、この日も小地蔵のご奉納がご住職の説明の後行われました。堂内の天井に近い長押(なげし)にも小地蔵が置かれているのが確認できます。この小地蔵像も東村山市指定有形文化財になっています。
正福寺地蔵堂の内部を初めて拝見することが出来、更に堂内の写真を撮影することが出来ました。一般的には文化財指定の建造物の内部は撮影禁止になっていることが多いのです。この日に撮影した堂内写真は天井付近のものばかりです。堂内はストロボを炊いて撮影すると露出が合いずらく、或いは奥行の無い写真になってしまいます。といって三脚は使える状況ではなかったのでカメラをしっかりと構えて同じアングルで何枚も撮影し、その内ピンぼけの目立たないものを、ここに掲載しました。