国宝 正福寺地蔵堂

正福寺地蔵堂正面部分

正福寺地蔵堂正面部分

正福寺地蔵堂と同じ禅宗様建築で国宝指定を受けているものを挙げてみましょう。以下に挙げたものは仏堂のみで、塔や門、経蔵、方丈などは別とします。

円覚寺舎利殿 南北朝時代 神奈川県
清白寺仏殿 室町時代 山梨県
永保寺開山堂 室町時代 岐阜県 昭堂と祀堂の複合
永保寺観音堂 南北朝時代 岐阜県 禅宗様でも特殊な例
善福院釈迦堂 鎌倉時代 和歌山県 禅宗様初期の作風
不動院金堂 室町時代 広島県
功山寺仏殿 鎌倉時代 山口県
瑞龍寺仏殿  江戸時代 富山県 江戸時代の作例
以上のみです。
以外に思うのは京都にその国宝が無いことです。京都には禅宗寺院が沢山ありますが、ほとんどが室町時代以降に再建された建造物で、思うに、応仁の乱により当時のものがことごとく焼失してしまったからなのだと思われます。

正福寺地蔵堂扇垂木

正福寺地蔵堂扇垂木

正福寺地蔵堂は昭和8~9年(1933~1934)の復元解体工事の祭に発見された尾垂木尻持送りの墨書銘から、室町時代の応永14年(1407)の建立であると推定されています。

正福寺地蔵堂は禅宗様(唐様)建築の代表例です。その特徴を表すものとして、屋根の反りの強さがまず挙げられます。これは円覚寺舎利殿よりも強い反りを持っています。上で挙げた国宝の中では永保寺観音堂がそのもっとも顕著なものです。これは中国の古い寺院などが、このような造りをしています。屋根の葺手法は杮葺(こけらぶき)きといい、薄く削った細長い板を重ねた葺き方です。寺院の屋根といえは瓦葺きが知られていますが、中央の都から離れた地方はむしろ逆に瓦葺きは珍しいものです。

現在では杮葺きですが、以前は茅葺きであったようです。例えば円覚寺舎利殿も古い写真を見ると茅葺きであったことが解ります。しかし現在は正福寺地蔵堂と同じ杮葺なっています。屋根の葺きに関しては創建当時がどうであったかは正福寺地蔵堂も円覚寺舎利殿も解っていないようです。私が初めて正福寺地蔵堂を訪れたのは今から20年以上前でしたが、その時は屋根が葺き替えられて新しかったのか黄金色にピカピカしていました。現在は屋根の色は深い茶色にくすみ落ち着いた雰囲気になっています。

正福寺地蔵堂組物

正福寺地蔵堂組物

屋根は二層のため二階建てに思われる方も居られるかと思いますが、下層の屋根は裳階(もこし)といい、梁と桁に廂(ひさし)を付けたもので、実際にはこの建物は方三間(裳階部込みで五間)一重裳階付き入母屋作りということになります。この裳階の葺きは銅板葺きになっていますが、円覚寺舎利殿は杮葺きです。

更に禅宗様の特徴を見ていきます。軒下の組み物は和様と同じように大斗、肘木、巻斗と積み上げていく方式ですが、肘木が和様より円弧であることや尾垂木が細く、反っていて先が尖っているなど、和様組み物と違うところが幾つかあります。また、肘木の積み重ねで手前に飛び出た肘木がもう一手横に広がるところは禅宗様の特徴です。

禅宗様の軒下は組み物でいっぱいになっていることが多いです。和様の組み物は柱上だけで柱と柱の間(中備)は間斗束(けんとづか)や蟇股(かえるまた)が有りますが、禅宗様は柱と柱の間にも組み物が置かれこれを詰組(つめぐみ)といいます。

正福寺地蔵堂堂内公開日

正福寺地蔵堂堂内公開日

正福寺地蔵堂の組み物は三手先といい、三段前へ積み重ねられています。これは禅宗様の一般的なものですが、和様では塔などの建物にしか見られません。禅宗様の組み物は、大斗が柱の径より小さく、組み物全体が和様よりも小さいため、組み物が一つの塊のようになっています。

次に禅宗様の特徴として扇垂木(おうぎだるき)というのがあります。垂木は棟から母屋、桁に渡し屋根を作る材料で、軒下の屋根裏に並び揃えられた棒材の配列から、和様式の平行垂木と禅宗様の扇垂木があります。扇垂木は隅に向かって放射状に配列された扇のような形のものをいいます。上から二つ目の写真で、主屋根の垂木が扇垂木で、裳階の屋根の垂木が平行垂木であることが解ります。