高倉寺観音堂
高倉寺(こうそうじ)は、曹洞宗の禅寺で、山号を光昌山といいます。飯能市の能仁寺の末寺です。入間川の右岸の加治丘陵の東端の高台にお寺があり、境内からは北側の展望が望めます。また春には桜の名所として知られています。
観音堂の本尊は十一面観音菩薩像で、このお堂は元は飯能市白子の長念寺にあったものです。延享元年(1744)に高倉寺の第五世、白翁亮清が譲り受けて移築したものだと伝えます。その後昭和26年の修復が行われました。
観音堂は室町時代の初期(或いは南北朝時代)に建立されたと推定されていて、埼玉県内では優れた禅宗様(唐様)の建築物として国指定重要文化財となっています。
構造及び形式
表面三間側面三間、組物禅宗様二手先詰組、一軒扇垂木、入母屋造、妻木連格子、茅葺形銅板葺、板敷床及び縁あり、内部方一間鏡天井、周囲化粧屋根裏、尾垂木尻構法
このお堂の屋根の形は入母屋造といい、寄棟の屋根の上に切妻屋根を乗せて合成させたような形で、比較的凝った建物に使用される屋根の形で、東村山の国宝正福寺地蔵堂も入母屋造です。
観音堂の平面形態は方三間で、周囲に縁を持ちます。正面三間と側面手前一間が、桟唐戸となっていて、桟唐戸の面の上部は弓形欄間を設けてあります。側面の中央一間には花頭窓が配されていて、柱は粽柱で、軒は一軒扇垂木となっています。
屋根は長刀反をもつ入母屋造で、建立当時は茅葺であったようですが、現在では茅葺様の銅板葺になっています。茅葺屋根は現在では寺院建築でなくても大変少なくなっています。茅葺は手入れも大変だとは思いますが、個人的には茅葺のままであった方が古さを感じられてよかったのではないかと思います。
ブログ作者が始めて高倉寺観音堂を訪れたのは20数年前だったと思いますが、その時はすでに銅板葺の屋根でした。当時の写真と現在のお堂と較べてみると、全く変わっていないなと実感しました。
上の写真は軒下の組物部分を撮影したものですが、東村山市の国宝正福寺地蔵堂と大変良く似ていることがわかります。桟唐戸、弓形欄間、扇垂木、禅宗様組物とこれらは典型的な禅宗様建築です。正福寺地蔵堂は三手先詰組ですが、このお堂は二手先詰組となっています。垂木も正福寺地蔵堂は二軒垂木ですが、こちらは一軒垂木となっています。
お堂前の説明板によると、堂内の本尊背後に置かれている鉄製灯籠は、室町期に流行した形式を伝えているということです。
このお堂がもとあったという飯能市白子の長念寺は現在でもあり、高麗川の渓谷沿いで、国道299号線が通り、『新編武蔵風土記稿』などには秩父に向かう秩父街道が通っていたところと記されています。秩父街道は中世では鎌倉街道秩父道であったところと思われます。
東村山の国宝正福寺地蔵堂は裳階(もこし)付きの豪華な造りですが、この高倉寺観音堂も飛騨の名工匠の造りと伝えられ、室町時代の当時としては方三間堂としては優れた建築であったのではないかと思われます。
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