コロナ禍の川越まつり

2020年から新型コロナウイルス感染症の流行が拡大して以後、川越の街は観光客がすっかり減少してしまいました。
2022年夏は第7波で国内の感染者数のピークを更新して相変わらずコロナ禍のマスク生活が続いていました。この時点で感染の主流になっているオミクロン株は感染のスピードが速く若者の感染拡大の歯止めがかからないようでした。
そして近頃の亡くなる方々は高齢者が多く、急性の肺炎で亡くなる方というより感染に伴う基礎疾患の悪化で亡くなる方が増えているようです。
ここのところようやく川越の街の観光客も徐々に増えてきているようですが外国人観光客の方々はコロナ以前とは比較にならないくらい少ないようです。

今年の川越まつりは比較的に早い段階から行われることが伝えられてはいましたが、まだ感染者数は多くどのような制限があるのか具体的にわかってはおらず以前のような川越まつりの雰囲気や賑わいが実現出来るのか難しいところのようです。

世の中は変わってしまって、以前のように戻れるのか?

10月15日土曜日午後から祭りを観に市街地へ向かってみるとあの懐かしいお囃子の音色が聞こえてきました。拍子木が鳴る音、「ソーレイ、ソーレイ」の山車巡行の掛け声、あのお祭りの賑やかさが帰って来ていました。

猩猩の山車

川越まつりは約370年の伝統を誇る都市型祭礼。

弁慶の山車

川越まつりは「川越氷川祭の山車行事」として平成17年2月に国指定重要無形民俗文化財に指定されました。更に平成28年12月には「ユネスコ無形文化遺産(山・鉾・屋台行事として国指定重要無形民俗文化財に指定されている33件)」に登録されました。

牛若丸の山車

河越太郎重頼の山車

慶安元年(1648)当時の川越藩主である松平信綱が、氷川神社に囃子頭や神輿などの祭礼用具を寄進したことに始まるそうです。それから3年後、神輿行列が初めて町内を渡御(神輿みこしが道を進むこと)しました。その行列の後を、町人たちは供奉(お供の行列に加わること)しました。これが現在の川越まつりのルーツとされています。
※川越まつりパンフレットより

河越太郎重頼の山車と鈿女(今成)の山車

当時の川越は新河岸川舟運によって江戸との交流が深かった。祭りの形態は江戸天下祭り影響を強く受けて、絢爛豪華な山車が引き廻されるようになります。江戸の祭りは神輿主体に変わりましたが、川越まつりはかっての江戸天下祭りの様子や風情を今に伝えています。
(天下祭りは御用祭りともいい、江戸時代以来続いている江戸「東京」の代表的な祭礼で、神田明神の神田祭、日枝神社の山王祭などを指す)

河越太郎重頼の山車の上層には弓を持った鎧兜姿の重頼人形が乗っています。カッコイイ!。

河越重頼は川越の地名にも由来する河越氏の武将です。平安時代末期から鎌倉時代初め頃に活躍した人物です。畠山重忠などと共に秩父平氏の流れを組み源頼朝に仕えた鎌倉御家人でした。現在NHK大河ドラマでは「鎌倉殿の13人」が放送されていますが、ドラマの中では源義経の正妻は比企氏の娘として登場していましたがこれはドラマの演出で実は義経の正妻は河越重頼の娘だったというのが一般論です。
川越まつりの山車には弁慶や牛若丸(義経)といったゆかりの人物の山車も見られます。

河越氏の館跡と伝わるところが川越市上戸にある河越館跡史跡公園になっています。上戸の常楽寺境内には河越重頼・源義経・京姫(郷御前と呼ばれる義経の正室)の三者の供養塔があります。是非一度は訪れてみたいところです。
また、常楽寺境内及び河越館跡史跡公園では毎年11月に「川越流鏑馬」が行われています。

鈿女(今成)の山車

祭に演奏される音楽は「囃子(はやし)」といい音色と舞で祭りに華をそえます。
文化・文政時代に江戸から伝わったもので源流は葛西囃子(東京都葛飾区に伝承されている祭囃子)です。流派は大きく分けて「王蔵流」「芝金杉流」「堤崎流」などがあります。笛1人、大太鼓1人、小太鼓2人、鉦(かね)1人で編成され、流派によってリズムやメロディーに微妙な違いがあります。曲目は屋台・鎌倉・ニンバなどがあり、これに合わせて天狐・おかめ・狸などの面を付けた踊りが披露されます。
宵山(よいやま)では提灯に明かりが灯り幻想的に浮かび上がる山車の姿とともに、囃子の音色に耳を傾け流派の特徴をじっくり楽しむことができます。

小狐丸(小鍛冶)の山車

祭りの見どころの一つが曳っかわせ(ひっかわせ)です。山車が他の山車とすれ違う時、山車の正面を向け、町同士の挨拶として曳っかわせ(儀礼打ち:囃子と踊りの競い合い)を行います。交差点などでは複数の山車が集まり、舞台が廻転して囃子の競演を行う様子は圧巻きです。
今年の川越まつりは新型コロナウイルス感染防止のため、例年のような曳き手の乱舞は実施しなかったようです。

道灌の山車

ところで祭りの写真撮影は難しいですね。特に川越まつりは山車が縦に長いので下から見上げる写真になってしまいバランスが取りずらいのです。
更に見物客が多く密集していて、しかも人は動くので構図を決めづらくカメラを持つ腕いっぱい高く掲げないと山車は人で隠されてしまいます。
特に夜間は暗いのでピンボケになりがちです。私は夜間の動いている山車の写真は殆どがピンボケでした。残念!

川越まつりの山車は29台あるそうですが今回は川越市の市制施行100年を記念して29台全山車が出ていたそうです。山車には県指定有形民俗文化財、市指定有形民俗文化財、川越市登録歴史文化伝承山車などの指定を受けたものがあります。各山車の詳しい説明は「川越まつり公式サイト」及び「川越まつり公式サイト・山車紹介」を覧ください。

秀郷の山車

山車の構造は二層の鉾(あんどん)と人形からなる江戸型が発展したものと言われます。
四ツ車、又は三ツ車と台座(せいご台)の上に、二重の鉾を組み、上層の鉾の上に人形が乗っています。上層に出る部分と人形は、それぞれ迫りあげ式のエレベーター構造になっているそうです。
鉾の前面には欄間や唐破風のついた囃子台(舞台)があり、多くの山車は台座の上で360度水平廻転する廻り舞台になっています。この廻り舞台は川越まつりの山車の特徴で曳っかわせなどの際に山車どうしが向き合わせられるよう工夫されたものだそうです。
山車は黒や赤の漆で塗られ金箔も使われています。勾欄や腰まわりの彫刻はけやき材ではめ込み式。鉾には刺繍仕上げの幕が張られています。
山車の高さは平均8m以上、重さは5~6t程度だということです。

山車の人形は歴史や民話に取材した人物などで、人の等身よりやや大きめのものです。人形の作者は江戸人形師の名人のものが多く見られるそうです。

家光の山車

山車の人形を見ていくといろいろな時代の歴史上の人物があります。ただ現代の若者には馴染みが無い人物が多いのではないでしょうか。古い日本の有名な人物や英雄などをこれら人形から知ることができます。
中には平安・鎌倉時代の人物も見られ頼光、八幡太郎と摂津・河内の源氏があるものですから源頼朝の山車があってもよさそうです。しかし川越まつりの山車の中に頼朝は見当たりません。ただ調べて行くと源頼朝の山車は存在するようです。今は川越まつりに参加はしていないようなのですが、大塚新田囃子連の山車は源頼朝だということです。

浦島の山車と家光の山車

山車巡行の指揮をとるのが宰領(さいりょう)といい、宰領と書かれたタスキを
かけていて運行の総責任者です。

山車の巡行には職方、お囃子方、町方という各役割を担った人達で構成されています。
職方は山車の最上で人形の出し入れなどを行う大工と呼ばれる人達や、山車の運行操作などを行う鳶と呼ばれる人達です。
お囃子方は山車の舞台で楽器の演奏や踊りなどを行っている人達です。
町方は山車を運行する町内の人達で2本の縄を曳く曳き手や、手古舞と呼ばれる曳き手の最前列にいる女の子達です。その他にも先触れ、露払い、高張提灯、綱先、警護などの人達もいます。
山車一つ巡行するにもこういった沢山の人達がいるんですね。お疲れ様です。

今年の川越まつりはコロナ禍の中で行われました。コロナ以前の祭りと変わりない賑わいでした。仲町の交差点に山車が近づくと身動きが取れないくらいの人だかりも出来ていました。また外国人観光客も沢山見られました。
今、コロナの第8波の恐れが懸念されています。コロナ禍の世の中はどうなって行くのでしょうか。日本の伝統的祭りなどがこれからも以前と同じように受け継がれて行くことを願いたいものです。

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